進学塾の現実は。。。

残念ながら

子供たち、特に中高生の成績は、簡単にあげることができるものではない。

子供たちの成績は、もって生まれた能力に縛られる部分が多いと言わざるを得ない。

 

強いモチベーションを持ち、自分のセンスを上まわる努力をすることができるのも能力、人の意見を素直に聞き、まじめに勉強をする性格も能力であるから

ほぼ能力で成績は決まる。

 

もし、それを打ち破るなにかがあるとすれば、

 

それは、親や環境が作る「習慣」と「刷り込み」である。

 

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塾の現実を打ち破ったビリギャル

 

この「習慣」と「刷り込み」は一朝一夕にはいかないが、人間が成長する上でとても重要なファクターだ。

悪い言葉で言えば「洗脳」だが、

少し前に、映画化までされ、ベストセラーなった「ビリギャル」は

「刷り込み」が為せる業であろう。

偏差値40前後のギャルが、1年で慶應義塾大学へ合格する実話ベースの物語である。

とてつもなく学力が低い、勉強習慣のないギャルが、どんどんと成績を上げていくわけだが、

私の経験上で、分析させてもらうと(不快に思う方は申し訳ない)

まず、第一に、彼女の地頭、ここでいう勉強する能力は間違いなく高かったことは想像に難くない。

それは、妹が上智大学へ合格していることからも想像できる。

平凡な才能の持ち主にとって、難関大学合格は、努力だけでなんとかなるものではない。

ある程度の素質(もって生まれた能力、センス)が必要である。

努力やモチベーションが継続できるのも能力であるから、彼女は恵まれた才能をもっていたはずだ。

まったくの素質なしに、プロスポーツ選手になれないのと同じである。

実際著書の中で坪田先生は、ビリギャルであった彼女の第一印象に、光るもの(地頭の良さを感じる部分)があったとの記述がある。

そして、第二に、塾講師がしたことは、「刷り込み」だ。

今まで理解できていないことを理解させること、そして、目標付けに成功することで、大学へ合格できることを

現実感を持って、脳に刷り込むことができたのである。

これもスポーツに例えると、(どこかの漫画にあるのだが・・・)

まったく野球を知らない、中学時代部活もしなかった、高校1年生のT君が、
兄弟の死をきっかけに野球に取り組む。
力を入れて投げると暴投ばかり、しかし、球は速い。
変化球は投げれないが、なんとか、賢いキャッチャーのリードで努力と恋愛の力で甲子園優勝を勝ち取る

ビリギャルの話はこれに似ているのかもしれない。これが実話だから、ベストセラーに登りつめたのだろう。

ここで、塾講師の役割は、キャッチャーである。

生徒は投手である。

キャッチャーは投手をうまくその気にさせ、配球をリードしていく。

しかし、投手自身にある程度才能がないと、上にはいけない。

ただ、球は速ければいいものでもなく、受験というバッターをどう料理するかはいろいろな方法がある。

つまり、親や教師、塾の役割は、キャッチャーのように、うまく子供たちをリードしなければならない。

それにつきる。

しかし、ピッチャーとしての適性にかけ、どうにもならない場合は、ポジションを変えることを躊躇してはだめなのである。

 

ビリギャルのような物語は、狙ってできるものではない

ここでビリギャルの話に戻すと、

もし、彼女が中学時代からある程度親に勉強習慣をしつけられ、大学へのモチベーションがある程度あれば、
その能力をもってすれば、ビリギャルではなかったわけで、物語にはならなかっただろう。

光る能力を見つけた塾講師が、劇的に彼女に、「難関大学へ行って人生を変える」という「刷り込み」を行った。

そこに彼女のもって生まれた能力があり、奇跡的に刷り込みを受け入れるこたができた。そして、強烈なモチベーションを持ってその能力を発揮し始めた。

そして、合格まで勝ち取った。

これは、素晴らしい物語で、人間の思いは人生を変えることができる良い例なのだと思う。

しかし、この物語を、今現在、成績の悪い子供にあてはめ、期待することは危険極まりない。下手したら子供の心を深く傷つけてしまう可能性があるからだ。

まず、坪田先生が、直接指導したとしても、劇的に成績を上げていく生徒を見つけることは至難の技だろう。

それは、塾講師である私の負け惜しみではない。

生徒の持っている能力を最大限発揮させることは、熱心な塾講師ならば全ての人が持っている目標だ。

しかし。それがなかなか叶わない現実がそこにはあるのだ。

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