難関大学合格者の中学での数学力はどれくらい

難関大学合格に必要な数学力とは

誰しも中学時代に、体育の時間、スポーツがすごくできるクラスメイトを見て驚いた経験はないでしょうか?特にそのスポーツを部活や習い事で習っているわけでもないに関わらず、ちょっと基本を習っただけで、クラスメイトの誰にも負けないくらいうまくできてしまう。場合よっては、毎日部活で練習している人たちと互角以上にわたりあってしまうような運動神経に恵まれている人を見たことがあると思います。

そのように運動神経に優れた人が、ある競技にハマって努力を続けたなら、凡人には敵わないことが容易に想像できます。

難関大学理系に合格するほどの数学力をつけることは、その様子に似ています。なかなか努力や勉強方法だけでは、そこまでの力をつけることが出来ず、才能に恵まれていないと苦しいものです。そして、本当に難関大学の合格を勝ち取る人は、才能プラス努力をしている人がほとんどです。

才能と努力、その二つがないと、合格しないのが難関大学です。では、一体どの程度の才能と、努力が必要なのか?それを考えたいと思います。

私の塾はその特性上、難関大学に合格するような才能に恵まれた子供達から、努力しているにも関わらず底辺の高校合格さえ怪しい子供達と接する機会があります。その経験から、その実際に少し触れてみます。

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中学のとき、数学の勉強法は?

では、実際の難関大学理系の合格者は、中学時代、何時間くらい勉強をしていたか?どの程度学力があったかを紹介します。

私が経験した難関大学合格者はそんなにたくさんいませんが、様子を見ていると、大きく2パターンに分かれます。

解いていくスピードや量が半端なく多い

一つ目のパターンは、中学の時からほぼ毎日勉強漬け、にも関わらず、特に不満を示すわけでなく、その量やスピードに難なくついて行くタイプの子供達です。私立中高一貫校を中心に、中学の時から受験生並に、毎日数時間の勉強を習慣付けようとする学校が多くあります。部活に力を入れる生徒はごく一部で、毎月のように定期テスト、実力テスト、全国模試があり、その成績を常に監視します。

難関大学に合格する生徒は、このペースに難なく付いていきます。勉強することが習慣になっています。私が経験した生徒は、中学の時はさほど苦労するわけではなく、問題集の答えを自分で読んだり、家庭教師に少しアドバイスをもらうだけで、ほぼ独力で解いていきます。その子は毎朝5時に自分で起床し、学習を毎日していました。学校で採用されている、中高一貫校向けの問題集、体系数学問題集の発展編をです。

中高一貫教育をサポートする 体系問題集数学1 代数編 基礎~発展

普通の生徒は、体系数学問題集の発展問題などは理解することが精一杯になっていき、なかなか独力で解き進めることができません。そしてその量の多さに物理的に付いていけなくなります。

有名な「鉄緑会」という圧倒的力で東大合格を目指す塾がありますが、その塾の問題を解く量は、とてつもなく多いようで、通常の能力の生徒では付いていけません。(厳しい入塾試験もあるようです)

具体的にどの程度の量なのか?と言われると、多い、少ないは人それぞれ感じ方が違うので、説明が難しいのですが、ざっくりいうと、毎月、難易度が高い問題も含めた問題集を50から100ページ程度を解かなければいけません。

1日数ページと計算すると大したことがないと思うかもしれませんが、1度解いただけでマスターできる生徒はそれでいいのですが、当然何度か復習しないとマスターできない生徒は付いていけなくなります。しかもこれは、数学だけの話です。

中学の時は大して勉強していない?

もう一つのパターンは、中学の時は大して勉強していないように見える生徒です。

先に出てきた体系数学問題集も隅々までは解きません。適当にポイントだけを押さえています。付いていけないわけではなく、要点だけ押さえているといった感じでしょうか。一般の公立中学にも難関大学へ合格して行く生徒がいますが、ほぼ、学校の授業だけで、ある程度の難易度の問題は難なく解いてしまいます。良い意味で余裕があります。塾に通ったとしても適当に学習しているという表現がピッタリきます。

そして、中学の時は、そこそこの成績なのですが、高校に入っても、そのペースで難易度が高い問題に付いていきます。そして、高2、高3になるにつれ、どこかでモチベーションに自らしっかりとスイッチを入れ、恵まれた才能を生かして、模試で結果を残していきます。

力がある生徒に共通して言えること

この二つのパターンの生徒、どちらにも言えることですが、実際に教えていて感じることは、独学で勉強をできる力があるということです。

教科書を読んで、問題を解き、わからなければ解説を読む、そうすれば理解できてしまう。そこに塾講師や他人が入る余地がないのです。

塾で実際に教えていると、これって、塾など必要ないなと感じてしまいます。むしろ、講師の解説は本人の勉強の邪魔になります。なぜなら問題を解く上で試行錯誤するその時間が本人の成長に最も必要な時間だからです。

塾の役割は、良質な問題を用意して集中しやすい環境を与えること。合格までの道筋を情報として提供すること。この二つだけではないでしょうか。

このような力を育てることは可能か?

どのようにすればこのような力を育てることが可能なのでしょうか。

その方法がないわけではないと思います。もちろん、持って生まれた才能は必要だとは思うのですが、それだけではないことも事実です。

一番必要だと思うことは、考える面白さを知ることだと思います。そして、知らないことを知る術を小学校のうちにマスターしていることです。つまり、わからないことは、自分で考え、様々な資料や実験を通して調べればわかることができる。ということを感覚で知っていることが大切です。

どのように親はそれを教えればいいのでしょう?

おそらく、教えるという感覚ではダメなのでしょう。環境を用意して、見守ることが一番です。数字を使った面白いだろうなと思う考え方を話したり、世の中に溢れているものの裏側を見せてやったり、好奇心と思考力を刺激し続けます。本を読み聞かせたり、良質なテレビ番組を見せることも必要でしょう。調べること、考えることを習慣付けます。

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小学校のうちは好奇心を刺激してくれる塾や課外活動もいいかもしれません。

仕事で忙しい親にとってはなかなかそのような理想通りには行かないかもしれませんが、意識しているだけでも習慣は変わって行くものだと思います。

日々、少しずつ心がけを変えていく、そのことが大きな結果を産むような気がします。

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