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高校数学は難しいのか?
中国や韓国はよく知らないが、(どうやら中国、韓国も日本と同等もしくはそれ以上に勉強を強いられているようだが)
少なくとも日本の数学は、アメリカでは大学で習うようなことを高校の段階でどんどんと解かされる。
中高一貫校に至っては、その内容を中学校の段階で導入される。
私の塾にもたくさんいる
「数学嫌い」
どんなに頑張っても、基本が中心と言われるセンター試験の問題でさえ半分以上解けない生徒もたくさんいる。
そのような生徒は、公式がなかなか頭に残らないし、問題を見ただけで、問題を解くとりかかりすら自力で見つけることができないのだ。
数学ができる人とできない人の差はどこにあるのか?
教えていると手に取るようにわかる生徒の数学能力
まあ、
確かに日本の高校数学は難しいけれど、
それに、興味を持ち、学習スピードついていき、
そして、国立大学の工学部などの理系へ進む人と、
私立文系へ逃げていく人ととの差は
いったいどこにあるのでしょう?
「幼児体験?」
「持って生まれた才能?」
「先生の差?」
どれが正解なのでしょう?。。。。
高校生に数学問題を個別指導で解説していると、
手に取るように、
この子は数学が伸びるか伸びないかがわかります。
それが、その先、外れることはそうはありません。
では、
伸びる子はどのような状態で勉強をしているか説明しましょう。
できる子とできない子の具体的な違い
たとえば、高校数学で有名な
三角比という単元があります。
サイン、コサイン、タンジェント
教科書にこのような記述が出てきたとしましょう。
サイン45度は、ルート2分の1になります。
サイン135度も ルート2分の1になります。
数学ができない人の対応
数学が伸びない生徒は、この事実を、丸覚えします。
背景に何があるかを、学校の授業で理解しようとしません。
または理解ができません。
もしくは、なぜ値が同じかを疑問に思った場合でも、
「とりあえず人に聞きます」
自分で
「なぜ」
を探求しようとしません。
それが習慣というか。
興味がないというか。
性格、もしくは趣味嗜好と言った方が良いかもしれませんが。
そして、人に聞いて理解したとしても、
「そうなんだ」
で終わります。
それが、どのようなことに役立ち、どのようなことに応用できるかなど
考えはまったく及びません。
数学ができる人の対応
それに対して、数学が伸びる生徒は違います。
まず、なぜかを自分で考えます。
教科書の記述を読み直したり、問題の答えをじっくり読んだり、
人に聞いたとしても、自分で納得するまで考えます。
自然と、そうしてしまうのです。
そして、自分なりに納得して前進します。
数字に親しみがあったり、相性が良いというのもあるかもしれませんが
「腑に落ちる」
まで考えることができます。
それが習慣なので、
良い循環が生まれます。
小学校のときに学習した三角形の面積の公式が、
高校で習う、三角比の単元に再び出てきて
「驚き」
「感動」
するのです。
「サインってこんなに便利なんだ!」と
また、物理を習っているときにも
サイン、コサインが出てきます。
そして、そこでも
「感動」
することができるのです。
そうか、
力の大きさを水平成分と、垂直成分に分けるときにサインとコサインがこんなに役立つ!!
分けることで、運動を分析、速度を計算することができる!
こんなことを発見するなんて
なんてニュートンはすごいのだ!!!
この
「感動」
することが、さらに興味を掻き立て、学習意欲を沸かせます。
そして、この生徒の学力はどんどん上がるのです。
差を生み出すポイントは「感動」
この差は実に大きい
感動できるかできないか
勉強は本来、苦行ではありません。
楽しいことばかりではありませんが、
本能として持つ知識欲を満たしてくれる
充実感を伴う行動です。
残念ながら
このような話を数学が苦手な人にしたところで
「感動」
できるようになるわけではないのが、やっかいなところです。
興味が湧く、湧かない
考えることができる、できない
これらは、
残念ながら
教えてできるようようになるものではないらしいのです。
ではどうすればいいのか!?
数学ができなくても「嫌い」にならないようにはできるはず
簡単に数学に感動することはできないかもしれませんが、
ただ、ひとつ言えることは、
「数学嫌い」にさせない
ことは、できるような気がします。
親や学校、システムの工夫でこれはできます。
日本の教育システムは、どうやらそれが苦手そうですが。
特に中高一貫校で数学を学習する場合、
前倒し、前倒しで、数学の本質を理解せぬまま、無理やり難問を解くのはお勧めできません。
いたずらに数学嫌いを生み出しているような気がしてなりません。
わからなければ
わかるまで自力で
「考える」
そして、
わかったときの
「達成感」や「感動」
それを、
高校生にはぜひ、体感してもらいたい。
それが、もっとも大切なことではないでしょうか。