子供の成績が悪いと嘆く親たち
最近では、小学生から塾に通うことは当たり前で、中学生では塾に通っていない子の方が珍しい時代になっています。町には小中高校生を対象にした塾で溢れ、毎日のように立ち寄るコンビニよりも塾の数が多い現実があります。
小学校のときから英会話教室に通い、中学受験のための塾に通う子も今では珍しくも何ともありません。地方でも中学受験は当たり前になりつつあります。また、普通の公立小中学校でも宿題や渡される問題集は増えています。全国学力テストが注目され自治体間の競争も激化しています。
ひと昔前より、子供たちが勉強をしなければいけない時間、させられている時間、その総量は確実に増えていることでしょう。
しかし、塾の現場で見ていると、親たちは、いつも「子供の成績が伸びない、悪い、もっと勉強してほしい」と嘆いているように感じます。
勉強や宿題にやる気がないやろうとしない、点数がいつも悪い、やっても伸びない、覚えが悪い、学校の先生が頼りない、塾がしっかりしていない、良い塾はないかしら、お金がかかりすぎ、部活が忙しすぎ、子供が言うことを聞かない、などなど不満が噴出しています。
塾を経営していて時々思うのですが、果たして、この環境、社会はこのままで良いのだろうか? と
社会の問題とまではいかなくても、親たちが、子供たちの勉強時間をもっと増やすことは正しいことなのか?を考えてみましょう。
私たちは「かけっこ王国」に住んでいる
時々当サイトで紹介する著書「日本人の9割が知らない遺伝の真実」に、現代社会の例えとし以下のような記述があります。
子供が勉強できないと嘆く親にぜひ読んで頂きたい。
あるところに「かけっこ王国」とよばれる小さな国があります。
ちょっと変な名前ですが、それはこの国が「かけっこ」によって成り立っているから。(中略)
そういわけで、この国では短距離走に強い人がりっぱな人、優秀な人と考えられるようになりました。
年に1回、18歳になった国中の男、女は競技場に集まり、「かけっこ」で勝負します。
ルールは極めてシンプルです。「よーい、どん」でスタートして100メートル走り、そのタイムによって順位が決まります。かけっこが速い人ほど、その後の進路を自由に選ぶことができます。
日本人の9割が知らない遺伝の真実より
では、18歳のときにかけっこで遅かった人はどうでしょうか。子供の頃にマラソンが大の得意で、将来もマラソンランナーになりたいと思っていた人も、途中でちょっとほかのことに興味が出て寄り道してしまい(なにしろ若いころはいろいろ誘惑が多いですからね)、かけっこのトレーニングをなまけたために、18歳のかけっこで勝てなければ、才能なしとレッテルを貼られ、専門のトレーニングは受けづらくなります。
それでも、自分なりにトレーニングを積んでマラソンランナーとしてのし上がってくる人もいることはいますが、その道は厳しいものになります。日本人の9割が知らない遺伝の真実より
大変なのは研究者などになりたいと思っていた人たち。運動が苦手でも、研究者養成学校に進むためにかけっこの猛訓練をして少しでもよい成績を挙げようとします。
それでみごとに夢をかなえられる人もいますが、たいがいの人はかけっこがダメなんだから自分には研究者の素質はないんだ、どうせなにをやってもダメな人間なんだと思い込むようになり、自分からあきらめて、18歳のときかけっこが早かった人たちに対して、一生のあいだ劣等感を抱き続けながら人生を歩むことになります。
はたして、かけっこ王国の未来はどうなっていくのでしょうか。
日本人の9割が知らない遺伝の真実より
英数国を中心とした、我々が採用している偏差値という尺度で子供たちの能力や努力の量を量ること、そして、それが将来の進路の大半を決めてしまう。
きっとそれはこの「かけっこ王国」と大差がないのかもしれません。
簡単に世の中は変わらないが、親の考え方は変われる
残念ながら、いくらかけっこ王国のしくみが悪いことがわかっても、今の現実を変えることは簡単にはできません。また、「かけっこ」の練習、つまり勉強をやめることもできません。
では、どうすれば、夢を叶えたり、大きな企業で働けたり、成績の上がらない子供に嘆くことをやめることができるのか?
その答えは、大人たちの考え方を少しずつ改めることにあると思います。
子供の親、一人一人が、「かけっこ」のみの判断基準のみに子供の人生のすべてを委ねるのではなく、視野をもっと広げることにあります。そして、勝負は、あせる必要がないことも認識すべきでしょう。
18歳の時、「かけっこ」で才能が判断されるとしても、小学生うちから1日何時間も練習させる必要はないように思います。もし、練習しすぎて疲れて転んで、骨折でもしたらその後の成長に大きな影響がでかねません。無理は禁物なのです。
また、世の中には大きな誤解がはびこっています。勉強ができる子が努力の量が多いとか、「偉い」わけではありません、また、逆に勉強できない子が努力不足とか「怠けている」わけではありません。人間、大人でも苦手なことに努力することは、毎日はたいへんなものです。少しでも前進したら点数が悪くてもいいではありませんか。
ただ、
世の中もこのことに気付き、少しづつ変わりつつあるようです。
私立校の一部では、少子化の影響もあり、偏差値教育一辺倒では生徒が集められないことに気付き、様々なバリエーションの教育が生まれつつあります。大学も、教育内容を大きく変えつつあります。
勉強は大切だからと言って、家計に無理して塾に通わせたり、1日部活動までして疲れ果てた体に鞭をうって勉強を無理やりしたり、土曜や日曜に遊ぶことを我慢して長時間塾の授業を受ける。それが子供のためという親の気持ちもわからなくはないですが、バランスや、子どもの気持ちも大切にしたいところです。
もし、中学受験で偏差値が上がらなければ、それが実力だと捉えて、自分に合う偏差値の学校を探す、高校受験、大学受験も同じです。そこに絶望を感じたり、ましてや怒りを感じることは大きな間違いではないでしょうか。
勉強ができない人は90%
東大の毎年の入学者は約3000人、18歳の人口を120万人とすると、進学できる人はわずか0.25%、1000人に2~3人。国立大学定員はざっくり約10から11万人程度なので、8.5% 100人のうち8~9人。現在、私立も含めた大学進学率は全体の50%ほどだが、定員はもっと多く、希望した人すべてがどこかには合格できる時代(大学全入時代)だと言われている。その中で、優秀と言われる大学へ進学できる人はやはり一握りと言える人数でしょう。
先に出てきたかけっこ王国の例の通り、偏差値が優秀と言われる大学への進学を勝ちとる人が上位10%だと考えると、そこに住む住人全ての子供たちが進学する100人規模の中学校で、上位10位以内、200人規模だと20位以内にいないと無理な計算になる。実際は、優秀な子供たちが、私立や附属中学に分散するので、必要な順位はもっと上かもしれません。
つまり、18歳のうち約90%の人は、優秀ではない偏差値の大学にしか進めないというふうにも言うことができるのです。
それでも、少しでも偏差値の高い大学へ学習することに大きな意味はあります。しかし、苦手な勉強ばかりに時間をとられすぎて、本当に磨きたい技術や興味、好奇心、そして何より生きていくうえで大切な自信や自尊心を育てることをあきらめてしまうことは非常にもったいないことも理解してほしいです。