勉強に

「やる気がない」

「嫌い」

な子供たちは実に多い。


塾にもたくさんそのような生徒たちはいます。

やる気がないと、教えてるこちらも辛く、教えて理解をしたとしても、

翌週にはすっかり忘れていたりします。




いったい原因は、何なのか!??


やる気がある子とない子の差はいったい。。。。?



私は、今も考え続けていますが、

ある程度、これが「結論」ではないかというものが見えてきました。


原因がわかれば、対策も打ちようがあります。



その真の原因とは?


それは、学校の授業やテストにありました。


正確に言うと、授業をしている先生が悪いわけではなく、

学校のシステム、授業形態、社会の構造上、そうならざるを得ないのです。



詳しく説明しましょう。



まず、わかりやすくするために、3人の登場人物を設定します。


持って生まれた能力が高く、成長が他の同年代の生徒より早い優等生Aくん。

持って生まれた能力が平均的で、好奇心旺盛なBさん。

生まれた時期も早生まれ、しかも、ちょっと人より成長が遅く理解力や集中力に乏しいCくん。


が同じ学校の同じクラスにいたとしましょう。


学校の先生は、文科省に決められた速度で、Aくんにも、Bさんにも、Cくんにも、ためになる授業をしようと
頑張ります。



しかし、Cくんにとっての毎日はたいへんです。

毎日の宿題、時間がかかります、わからない問題もたくさんあります。
授業も学年が進むにつれ、わからない問題が増えてきます。
他の子は、授業を聞いただけでわかっているようです。


劣等感が生まれます。

毎日、毎日、学校に、親に、塾に、わからない、面白くない問題を解くよう指示されます。

しかし、Cくんは、いくら、学校や親が頑張っても、勉強が好きになることはありません。

なぜなら、わかったと思っても、次にさらなるモンスター(Cくんにとって)が現れ、

楽しくないからです。

誰だって、得意ではないことは好きにはなれません。致し方がないことです。


しかし、学校の授業は、待ってはくれません。さらなるモンスターを次々と突き付けてきます。

つまり、Cくんは、年齢を重ねるにつれ、やる気を失っていきます。

学習性無力感です。(この言葉について後ほど解説します)




Bさんの毎日はどうでしょう?


小学校4年生くらいまでは順調です。

宿題も頑張ればできます。特に説明がわからない教科もありません。

学校の先生や親も、よく頑張っているねと褒めてくれます。

しかし、小学5年生のあたりから状況が変わってきます。

教科に、好き嫌いができ、テストの出来にはっきりした差が出始めるのです。

親は、苦手な教科のテスト結果を見て、

「頑張りなさい」 「もっと勉強しなさい」 「そんなのもわからないの?」

と言い出します。

こうなってくると、教科によっては、Cくんと同じ状態に陥ります。


中学になると、得意だったはずの教科が、さらに難易度がアップし、

苦手な教科よりはましだが、100点には遠く及ばなくなっていきます。

すると、学校や親や塾が、

「受験のために」 「将来のために」

という大義名分で、

「もっと勉強しなければだめですね」

「苦手教科を克服しましょう!」


と言い出し、褒めることをやめます。

得意ではない問題ばかりをやらされます。


そうすると、勉強=嫌い、たいへん=自分からはしたくない

となり、

やる気がなくなります。

これまた最悪の場合、学習性無力感でいっぱいになってしまいます。




では、持って生まれた能力の高いAくんはどうでしょう?



Aくんの毎日は楽です。

宿題も余裕、テストも簡単、親や学校の先生にも褒められる。


たまに、与えられる難しい問題が解ける達成感に浸り、勉強は楽しい小学生時代でしょう。


中学校も、そんなにシャカリキにしなくても、そこそこ勉強すれば点が獲れます。

苦労はそんなにありません。

Aくんは、勉強はそこそこに部活に打ち込みます。

高校は、そこそこの進学校に進みます。そこでも部活動は続けました。


勉強よりも部活優先です。

高校2年生辺りから、全国模試の成績は散々です。


そして、あっという間に高校3年生。


勉強習慣のないAくんは、センター試験レベルの問題の難しさに愕然とします。

これは、とても間に合わない。


でも、なんとかなるかもと思い、ここから勉強に打ち込みます。

やれば、やるだけ点数は伸びそうです。しかし、如何せん量が多い。


好きな教科は伸びていくが、手間のかかる英語や国語の古文漢文は手付かず。

もっと勉強しておけば良かったあ。

時間もないのでこのまま受験に臨むしかない。


そして結果は?

当然、第一志望には届かず、無難な私立大学へ。

そして、大学ではまた、部活か遊びに熱心になり、

就職活動で慌てます。


Aくんの場合、勉強が嫌いなわけではないと思います。ただの食わず嫌いでしょう。

やる気がないのは、勉強をなめてしまっているからです。

もしくは、しなければならない量の多さにとりかかることに尻込みしています。

そして、一流の社会人になるために何かを勉強することの必要性を学んでいないからです。

こちらは学習性無力感というよりは、学習性「勉強しないことの楽さ」感といいましょうか。



しかし、

AくんもBさんもCくんも

いつの間にかやる気を失ってしまっています。

それは、なぜでしょう!?


それは、


適度な、「負荷」と、

それに対する、

適度な「達成感」が常に得られないからです。



そして、それには大きな個人差があるため、

学校で集合授業を受けている限り、構造的にやる気がない子供たちが生まれてしまうのです。

学校の先生が悪いわけではないのはこのためです。



やる気がない子供たちは、この三つのパターンのいずれかに遠からず当てはまっているはずです。

Bさん、Cくんには、負荷のわりに、達成感が少なすぎます。

Aくんは、負荷が少なすぎた結果、達成しなければならない目標、実力に到達できません。



これをフォローできるのは、一番身近にいる親であり、意図しない家庭事情であったりするのかもしれません。

塾でもフォローに限界があるでしょう。

物わかりの悪い親であれば、

塾が適切なサポートをしても、

「成績が上がらない」、「志望校に届かない」

で一蹴してしまいます。



また、子供たちを本当にやる気にさせるには、一時的な刺激ではなく、継続的なサポートが必要だと思われます。





ここで、心理学の世界で有名な「学習性無力感」の実験を紹介しましょう。

引用 http://psychoterm.jp/basic/learning/06.html


「セリグマン, M. E. P.が1967年に行った実験が有名ですが、この実験ではイヌに対して、どうやっても回避できない(統制不能の)電気刺激を与え続けるというものでした。

イヌは電気ショックをいくら避けようとしても避けられない状況(A)下に置かれ、この状態が続くと「あきらめ」の感覚が生じてきて、電気ショックが来てももはや回避行動をとらず、いつまでも床にうずくまったままになってしまいます。

その後、実験状況が変わって電気ショックを回避できる状況(B)になっても、イヌは前と同じようにうずくまって電気ショックから逃れようとしないことが多かったのです。

その一方、統制不能の状況に置かれたことのないイヌを上記の実験状況(B)に置いてみると、こちらのイヌはいきなりあきらめてしまうことは無く、できるだけ回避行動を取ろうとしました。

セリグマンはこの結果について、電気ショックから逃れられず、自力で状況を変えられないことが続いた場合、どうせ次も何をやってもダメだろうということを「学習」したのだと考え、これを学習性無力感と呼びました。 」

引用終わり




私は塾の講師をしていて、初めてこの実験について知る機会がありましたが、

正直、やる気がない、出ない生徒の心理的構造は、これとほぼ同じだと思いました。


つまり、犬にとっての電気ショックとは、勉強する子供たちにとって、

「理解できないテストの問題」です。

電気ショックを回避する行動は、

人間の場合、

「わかろうとする意欲を持ち、考え、答えを出そうとする」ことです。

わからない授業を受け続け、理解できない問題を出され続けることで、

「やる気」が失われていくのです。

最悪の場合、

小学低学年の頃からそれを繰り返し学習してしまいます。

勉強するには、

わからないことを自らわかろうとする「やる気」と、それに支えられた「やり抜く力」がもっとも大切ですが、

これが、まったく育たないことになります。




「やる気」を失わないようにうするために必要なことは、

「適度な負荷」 と 「適度な達成感」 を 「継続すること」

だと私は思います。




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参考記事